日本男児の壮絶な最期を垣間見ることができました


 

平成28月10月23日 玉川斎場にて

昭和55年3月 西部方面総監 就任


   日本男児の壮絶な最期を垣間見ることができました

弊社社長が敬愛してやまない河津幸三郎さん(亡くなった弊社会長の従兄弟)が92歳の生涯を閉じられました。
幸三郎さんの口癖は「国家の財政を圧迫しているのは老人医療だ」「国家に貢献していない者は医療を受けるべきでない」といって病院に掛かりませんでした。
奥さんを亡くされてからも、周りの人の手を煩わせることなく、全て一人で規則正しい生活を送っていました。
しかしだんだん齢には勝てず、晩年は手足の痺れや身体の至る所に病魔がむしばんでおり、さぞ苦しかろう、痛かろうと思い、お医者さんを呼ぶのですが、直ぐ返してしまいます。身体は動きませんでしたが、頭脳だけは明晰で、喋ることも出来ました。
亡くなる5日前から食事をしなくなり、「食べたら下の世話をして貰わなきゃならなし、皆の手を煩わせるから、食べるのは止そう」と言っていました。
本人は死期が迫っているのを感じたのではないでしょうか。亡くなる日の朝、床屋を呼んでくれと言って、きれいに散髪してもらい、白装束は着ないと言ってカッターシャツに着替えました。そして午後3時に静かに永眠されました。
自分の最期も幸三郎さんのように出来るか、痛さ、苦しさに我慢が出来るか、直ぐに医療に頼ってしまうのでは、その前に思考が停止しているのではないかといろいろ考えさせられました。
他人に対して厳しかったが自分に対してはもっと厳しかった幸三郎さんのご冥福を改めてお祈りします。

故河津幸三郎元陸将の略歴

大正13年10月23日生
昭和17年3月 大分県立日田中学校を卒業
昭和17年4月 陸軍予科士官学校入校
昭和20年3月 陸軍航空士官学校卒業
昭和20年4月 第26教導飛行隊に配属 (満州)
昭和26年6月、後に自衛隊となる警察予備隊に入隊
昭和39年6月 アメリカ合衆国陸軍指揮幕僚大学入校
昭和43年9月 外務省出向、在米日本国大使館付防衛駐在官
昭和52年7月 第10師団長(陸将に任せられる)
昭和54年7月 富士学校長
昭和55年3月 西部方面総監
昭和57年3月 退官
平成6年11月 勲三等旭日中授賞を受賞

アメリカ合衆国大統領から二つの勲章を頂きました

平成6年1月 日本国から勲三等旭日中授章を受章